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2011.11.04

T字路ヨロン 後編

今日の名言「わくわくしてる」
20111024-071201.jpg


前回のつづき。
書きためていた某かからペタっと貼りつけ、削って改行するだけ。



これは昔からのことだけれど、僕は何かの問題について立場を明確にするということが、非常に非常に苦手です。僕についてたまに「何を考えているのか分からない。」 と言われるけれど、そんなの僕だって分からない。
意見を表明しろって?そんなの簡単に言えるわけ無いじゃないか。
○○賛成?(y/n)で割り切られるのが非常に嫌いなのです。
「ホントはちゃんと意見を持ってるけど言わないんでしょ?」とか言って、良く分からないミステリアスな部分を美化し、あたかも僕が優秀であるように捉える人がいるけれど、自分だって良く分からないよ。
評価していただけるのはありがたいのですが…。

それは[世論]的≒単純な言い方をするならば、ただの[優柔不断]です。
でも、一つの枠組みだけで物事を見てしまう自分が怖くて仕方が無い のです。
今までの、そして現在の自分を俯瞰してみると、随分と世論に流されているような気がします。
別に世論は強ち間違ってもいない事だってあるけれど、きちんと基づく知識や認識も無く世論に同調するのは滑稽に感じます。自分の頭で考えたことでもないのに、考えていると勘違いしているのだから。
しかし、自分のようなプロでは無い人間=素人(←つまりどんな問題に対しても)は、その問題の背景を深く知ることなんてできないだろうし、得られる知識・認識も、それを得ようとする意欲も、たかが知れています。
そうなると、結局自分の意見も自分で信じることができないのです。

結局僕にできるのは、自分で意見を持たず、世論に対して半分共感し、半分あまのじゃくになってみるという事だけです。誰かが糾弾されていれば、半分は悪いやつだとみなし、半分は自分の中で弁護してみるのです。それだけ。そこから先はありません。
良い面もあれば、悪い面もあるよね、何事も。
そんな当たり前の中庸的意見を持つことしかできないのです。

それを、「無知の知」のようにもてはやしてくれるような世の中なら良かったのですが、この時代にはわかりやすさと明確さが求められています。T字路じゃなくたって、五叉路でだって、右か左かで選ばなくてはならないのです。
そして、右でも左でもない、まっすぐやや左寄り、 まっすぐやや右寄りしかし後にカーブ…のような、多面的考察の上で出された意見ですら、ワンフレーズで右か左かに位置づけられてしまいます。
問題 に対する意見を簡略化した世論は、また逆に、意見を飲み込んで簡略化した状態で捉えようとする働きも起こすのです。世論はすべてを世論化していきます。
それは恐ろしい事です。でも、この記事や、その他の僕の書く物のように、長々と垂れ流された考えを、皆が皆、理解しようとはしてくれないのです。
なぜなら、そんなものは溢れかえっているから。そして、面倒くさいから。
結局、そういうものの大半は身内しか読んでくれない。そう考えると、素人が表明した意見について某かの極端な印象を持ってもらえるだけでも、上出来なのかもしれない。

そんな世論が、ネット社会に突入してどうなったか、ネットが世論に対してどのような影響を持ったか。
というのがひとつポイントになってきます。それは卒論におけるひとつの骨子だったのだけど、もう、忘れちゃった。とりあえず、こんな感じで、指が動くままに文字数をうめつつ卒論を書いた覚えがあります。


おちも無くおわる。


しかしMAD CITYでググったら「松戸市」が出てくるよ。うん…まぁ、いいと、思うけど。

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Posted at 13:13 | へぼ | COM(0) | TB(0) |
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