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2013.06.18

久しぶり音楽論 前段 ~お隣のコピー文化~

今日の名言「俺は嫌いだね、こんなのフェスティバルでやる神経がわからん。
http://www.youtube.com/watch?v=GL-ACGYftgU
コンベンションの8割くらい否定されておる。


最近のブル研ツイッター界隈で冷めかけホットな話題と言えば彼、YouTubeの演奏動画に度々現れては毒を吐く青年についてでございます。
主にUnclePenにケチをつけたりネタ動画にケチをつけたり、たまにケンタローさんにケチつけたついでに反応に困る動画をアップしてみたりするのが主な行動です。

その言葉の端々から溢れ出る少々硬質なトラディショナルブルーグラス愛と、架空請求メールのような言葉遣い、自信満々に己の価値観を頭上から突き刺しにかかってくるその精神は、曲者多きカントリー親父界で考えても引けをとらないレベルの香ばしさが漂っています。
コメントだけを見れば「あらあらおじいちゃん」と思うほどご年配の方かと思いましたが、なんとびっくり、実際はまだ相当にお若いようで。
生半可な演奏や、ネタを許さないその姿勢と突撃精神に敬意を込めて、彼を密かにブルーグラス極右さんと呼んでいたりするのですが、多分流行る事は無いでしょう。

極右さんについてはネットウォッチな気分で見ているのですが、やまもと某ブログさんのように軽妙にレポートする事もできませんし、語れば語るほどロクなことにならない予感がするので、もうそっとしておきます。
しかし、9チャンネルが渦を巻いて高らかに燃え上ればいいな、と楽しみにしているのです。


さて、この極右さんで思い出すのがおおよそ半年前。
9pidチャンネルに上がってる僕のバンドの動画に「ガチコメがついたから見てみてよ」と、兼。(チャンネル主)が連絡をくれたことがありました。それが当時おっさんだと思ってた極右さんだったわけです。
まぁ、この極右さんは出汁でしか無いのですが、その時にご主人様とのやりとりメールがなかなか興味深かったので、それをネタにブログを書こう!と思ってた時期がありました。半年前は。
その後当然忘れてたわけですが、今こそその決意を果たすとき!…と思ってとりあえず過去の兼。とのメールを引っ張りだして来たのであります。
そしてこれから書くことを考えるのです。論文指導とかあったら、間違いなく怒られる書き方。



◆轍か我が道か◆
「人間必ずSかM!」って言うレベルの大雑把さでハイパーざっくり分別すると、グラッサー達は原曲派とオリジナル派に分かれます。ホントは分かれないと思いますが、便宜上分けるのです。
原曲派はその曲、そしてその曲を弾くプレイヤーのプレイをコピーする事によって演奏のレベルを上げてきます。一方、オリジナル派は原曲の弾き方やプレイスタイルというものに重きを置かず、自分の弾きやすいよう・やりたいように演奏します。
ちなみにアドリブのできるorできないという問題じゃないです。

◆北大と酪農大◆
コピーサボりまくりだった僕は当然オリジナル派です。
というか、北大を見る限りはオリジナル派が多いとおもいます。音取りでレベルのコピーはするにしても、そのスタイルや弾き方までコピーしようとする人は、そう多くいるようには思えません。
一年生の時に基本を教わって以降は特に何を教わるわけでもなく、独学が多くなりますからね。

オリジナル派でプレイするメリット…というとなんですが、とにかく自由です。自分のできることを全面に押し出して、苦手な事には目を瞑って、よくも悪くも誤魔化せます。
ただ、固有の悪い癖が出てきたり、我が道を行った故の基礎力不足等の問題があります。


一方、勝手なイメージですが、酪農大がコピー派として好対照です。
最近遊びに行ってないので今の事はわかりませんが、僕がよく顔を出していた頃4~5年前は、とにかくコピーをするという事についてストイックでした。メロディーは勿論、リズムやノリ、奏法、そしてスタイル。
ベース二本だけで、全く同じソロ(フォギマンスペシャル)を全く同じノリを目指し延々とジャムってる光景なんか見た日には、地に頭をつけて自分の不道徳を懺悔せざるを得ない気分です。

そしてサークル全体がひとつのスタイルでまとまっているので、先輩から後輩への指導がしやすく、また指導するのが当たり前という風潮でした。ノウハウの受け継ぎがちゃんとなされています。
が、如何せんみんな同じだから演奏会等は、正直面白味に欠ける面は否めません。
年目を重ねると、色々とわかって面白くはなるのですが…。
ブルーグラスをよく知らない一年目の時に見るのは辛いものがありました。
そして、コピーにこだわるが故に、演奏がついていけてない事も見受けられます。
しかし、それを乗り越えた人たちは、いつの間にかすごい技術を会得していたりするのです。それはもう、突然変異のようにいきなり上手くなったりするからびっくりします。


◆型としてのコピー◆
武道の嗜みは皆無な僕ですが、やっぱり「型」というのは大事らしいです。
先人達が研究し、積み上げてきたもののコアの部分が「型」にはあるようです。
つまり「型」を何度もなぞっておけば、なにはともあれ基礎の大事な部分を否が応にも身体にしみこませる事ができるから、とってもお得。上達の近道というわけです。

音楽に、というかブルーグラスに「型」があるかというと、やはりあるのでしょう。
ただし、それはひとつの完成形として…音源として我々に提示されます。
ビルモンであれスクラッグスであれ、あるいはバッサーであれベラフレックであれ。
その曲中の演奏を解釈し、その素晴らしさを見出し、「型」として切り出し会得する。
これこそがブルーグラスにおける「型」…、
すなわち「コピー」そのものでは無いでしょうか。

コピー派の人々のコピーは、本当に「型」として飲み込む為のコピーに思えます。
再び酪農大の風景を想像するならば、たとえ良く分かってなくても「そういうもんだから」と先輩に言われコピーをし、コピーをしながらその意味を理解し、意味を理解してまたコピーをする…の繰り返しです。
それはまさに修行なのです。己のための吸収活動なのです。
その成果を披露する演奏会は、演舞を見ているかのようです。



…やはり随分と長くなってしまったので、続きは次回。
まだ本論に入ってないです。

ちなみにコピーに関連して、高瀬さんブログにこんな記事があるのを思い出しました。
自己表現という観点からコピーを考えておられます。
こちらも是非ご一読あれ。


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